院長:竹田 義浩(たけだ よしひろ)
■プロフィール
- 竹田 義浩(たけだ よしひろ)
- 1972年生まれ おうし座 O型
- 大阪府堺市白鷺町出身
■略歴
- 1972年 堺市東区白鷺町にて出生 現在44歳
白鷺小学校→中百舌鳥中学校→泉北高校→大阪商業大学を卒業 - 1994年 大学を卒業後 OA機器販売会社に就職、事務機の営業を経験
- 1998年 会社を退職、自然形体療法の山田洋先生の元に弟子入り
- 1999年 鳳駅前にて 鳳自然形体院 を開業
- 2004年 鳳駅前再開発計画で三国ヶ丘に移転
- 2008年 自宅兼治療院として現在の地に移転
- 2009年 堺自然整体院 へ院名を変更、この頃より他の様々な治療法を学ぶ
■ごあいさつ
はじめまして、堺自然整体院、院長の竹田義浩です。
星の数ほどある治療院の中で、このホームページであなたに出会えたのは何かのご縁だと思います。
このご縁があなたの身体の不調を取り除き、あなたに喜んでいただけるきっかけになれば、私にとっても大きな喜びです。
もし私という個人に興味があれば、お時間のある時にでも以下のプロフィールをご覧ください。
■幼少期から少年時代
1972年 堺市白鷺町に生まれました。
団塊ジュニア世代で団地育ちだったので友達に困ることは無く、誰とでも仲良くできるいたずら大好きっ子。
視力は学年で一番悪く、勉強してないのに入学時からメガネっ子。
今ではコンタクトレンズの度数は -14 ! 超ド近眼です。
小学校から続けたサッカーに熱中して、中学の部活では朝練、部活、帰宅後の自主トレ、と朝から晩までサッカー漬けでした。
選手として一番楽しい中学3年生の春~夏まで、骨折・肉離れ・オスグッドと毎月のようにケガをして3ヶ月も休み、とても悔しい思いをしました。
その経験が治療家として生かされています。選手として休みたくない気持ちは痛いほど分かります。
■高校時代
高校では中学から大好きだったオートバイにのめり込み、アルバイトをして RZ250R というバイクを買いました。
ツーリングで九州や四国を野宿やテント泊をしながら回るのが大好きでした。
放任主義の親だったので、学費以外のお金は全て自分でバイトで工面して、その代わりに全てを自分の好きなようやらせてもらいました。
自分で考えて行動し結果責任は自分で負うという経験が、きっと自営業で独立するという礎になっているのだと思います。
■大学時代
勉学そっち除けで(笑)スキー・キャンプ・釣りと外遊びに明け暮れた4年間でした。
スキーは毎週のように出かけて、白馬村の民宿で居候をするほどハマりました。
高校~大学の7年間、飲食店やホテル等のサービス業のバイトを続け、困っている人を助けたり、お客さんに喜んでもらう事が自分にとって一番の喜びになるんだと実感しました。
この事が転職する時の方向性を決める大きな要素になりました。
■サラリーマン時代
なぜか50倍以上の狭き門をスルリとすり抜けて、第一志望の会社に就職することができました。
OA機器の販売会社でコピー機や電話機の営業を担当しました。
超体育会系でブラックな会社で、一時期心が病みそうになりましたが、おかげで非常に濃い3年間を過ごすことができました。
どの会社でも使う商材のおかげで、上場企業から町工場や商店まであらゆる職場を覗くことができたのは、今の仕事にとっても大きな財産です。
しかし相手の事を考えずに無理でも売り込む利益優先の企業風土は私の性格には合わず、転職を考えるようになりました。
「人に喜んでもらえる仕事」ってなんだろう? 介護系かな? などと転職を考えていた頃、知人が交通事故に遭い、病院・整骨院・鍼灸とどこに行っても治らなかった症状が、ある整体院でとても良くなるのを間近で経験しました。
私が抱えていた足首の症状も一回で良くなりました。
「困っている人を助けて、喜んでもらえる仕事」
私が探していたものを見つけた喜びと、レールから外れる不安を抱えながら退職を決意しました。
■自然形体時代
整体の研修を受けようにも全く貯金が無かったので、1年間田舎の工場に住み込んで出稼ぎをしました。
人間やる気になればできるもので、1年で250万円を貯めました。
それを元手に「自然形体療法」の創始者である新潟の山田洋先生の治療院へ新潟に住み込んで内弟子の様な形で修行へ行きました。
当時の師匠は、1人10分程度で患者さんの痛みを取り除き、1日50人以上をこなすスーパーマンみたいな人でした。
残念ながら師匠は今は故人となりましたが、
「痛くない手技でその場で痛みを取る」という私のスタイルは、当時の師匠の影響を大きく受けています。
開業までに返してもらう約束のお金が返ってこなくて、開業時点で貯蓄ゼロ。
開業当初はさすがに苦しく、トイレ風呂共同で家賃2万円の部屋に住み、バイトもしました。
治療院もトイレは汲み取りで壁の裏をネズミが走り回るような所でしたが、地域の皆さんに支えられて徐々に軌道に乗っていきました。
今から考えると知識も技術も未熟でしたが、熱意だけは一人前だった気がします。
経験を積んで結果を出せるようになってくると、どこの治療院に行っても治らなかった患者さんが良くなってとても喜んでもらえたり、できなかった事ができるようになった報告を聞けたり、たくさんの患者さんを紹介してくれる人がいたり、この仕事をやっていて良かったな~っと思うことが多くなりました。
仕事の疲れでヘトヘトになっていても、そういう声を聞くと不思議と元気満々になれます(^^)
開業から7年くらいたった頃、この技術を世の中に広めて、多くの困っている人を助けたいという師匠の方針に賛同して、仲間6人と「手技ネット」という技術セミナーを企画して、関東や九州や大阪で整骨院の先生等のプロの治療家100人以上に講習会を行いました。
様々な治療法を経験してきたプロのベテランの先生方にもとても好評でした。
今はどうしてもと頼まれた場合は教えますが、こちらから宣伝することはありません。
■更なる向上を目指して
開業以来10年間毎月欠かさず師匠の研修会に出席して技術を磨き続けました。
今までに勉強のために費やしたお金で、家が一軒建ってしまいます(苦笑)
セミナー活動を通して、様々な治療法を渡り歩いてきたベテランの先生と接するうちに、まだまだ自分には足りないものがあると実感しました。
セミナー活動を封印して他の治療法の勉強会に積極的に参加するようになりました。
今でも通常は月に3日、多い時は6日間くらい勉強会に行って技術や知識を習得しています。
多くの良き先生に巡り会えたおかげで、以前よりも遥かに良い結果を出せるようになってきました。
単にテクニックや知識を学ぶだけではなく、その奥にある本質や真理を見極められる治療家でありたい患者さんの心に寄り添える治療家でありたいと考えています。
自分の理想に少しでも近づけるよう、これからも常に研鑽を続け、どこに行っても治らない痛みで困っている患者さんにとって、希望の光になる整体院を目指して日々奮闘しています。